America

18歳でベルギーに飛んだ後、2年間バイトでお金を貯めて、20歳でアメリカ合衆国へ行きました。ホームスティの期間は3週間だったと思いますが、記憶があいまいです。断片的で、多くが消えています。悲しくてつらい体験が多かったからだと思います。


まずは、時差ボケ。

わたしの場合、西へ飛ぶには問題ありませんが、東へ飛ぶと時差ボケがきつくなるようで、1週間以上寝られませんでした。


次に、ホストファミリー。

老夫婦でした。最初、おばあさんに「なんで家に来たの?」と言われ、家で顔を合わせることも、言葉を交わすこともほとんどありませんでした。夕食(宅配ピザ)を数回一緒に食べただけです。おじいさんも寡黙で、最低限の会話(何がどこにあるなど)だけでした。外出先も、犬の治療で獣医さんや購入予定の土地(荒地)などでした。

家から市内まで1時間ほどドライブしなければならず、わたし1人では身動きできません。時差ボケで身体はつらい上、ホストファミリーと上手くいかず、悲しかったです。


「これではアメリカに来たことを後悔する」勇気を出してホストチェンジを申し出ました。

そのあと、4家庭で3泊ずつくらいしました。新しいホストファミリーはそれぞれに暖かく、わたしも心を開いてコミュニケーションをとれました。でも


「本来登録されていないご家庭に無理に引き受けていただき、ご迷惑をおかけしている」


という思いでいっぱいでした。

乗馬を提案された時も、断ってわがままだと思われたくなかったので、本心とは裏腹にチャレンジしました。


何の準備も無いまま野原へ……

女子高校生とわたし、大きな数頭の馬……

何か嫌な予感…… 

わたしは落馬しました。


迷惑をかけたくないから病院に行かないと心に決めていたら、ベッドから出られなくなっている自分に気づきました。夜には吐き気が始まり、危険を感じました。

結局、翌朝「病院へ連れて行ってください」とお願いしました。


けれど、ホストファミリーに迷惑をかけたくないという心は変わりません。受付、診察、お金の支払い(保険の手続き)などすべて、わたし独り、頼りない英語で切り抜けました。動けないので、担架に横になりながら……


日本に帰れないかもしれない。

幸い、生きて帰ってきました。思い出すと、今でも胸が苦しくなります。


映像翻訳者 mizuki

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